株式会社リタウィンズ 代表取締役
こころの相談室”Vivre Mieux”代表
個人情報保護士
ホリスピⓇ

カウンセリング創始者
シータヒーリングⓇ

基礎DNAインストラクター
シータヒーリングⓇ

応用DNAインストラクター
シータヒーリングⓇ

願いと豊かさの実現のインストラクター
シータヒーリングⓇ

ソウルメイトのプラクティショナー
NPO法人 日本ホリスティック医学協会 会員
ありす先生のブログ→ありすより”愛”をこめて

2歳の頃から精神障害の生母より虐待を受け、生母が入退院を繰り返していく間、
小学校入学前は児童福祉施設で過ごす。
小学校入学後は、施設から小学校へ通わすのは可哀想と父の意向で親戚の家を転々とする。
その後、生母に引き取られるがまた生母の病状悪化の為、尼僧である叔母に預けられるが、
そこに同居していた祖父から執拗な性的虐待を受ける。


異常な生活環境の中、性格形成に問題があったせいか、小・中学校では過度のいじめに遭う。
その後両親は離婚。
再婚した父のところへ引き取られ、継母とその連れ子の弟、妹が新しく家族に加わり
5人兄弟の長女として厳しく育てられる。
継母との確執の中、リストカット症候群や高校時代に至っては自殺未遂を繰り返し、
出席日数不足の為卒業を2か月後に控え中途退学。
その後、父と話し合い、継母との環境を変えるべく住み込みにて就職をする。


以上の様な原因から重度のアダルトチルドレンとなり、生きづらさの中安住の地を求め結婚。
20歳で長女を出産するが、23歳で離婚。
シングルマザーとして就職して生計を立てる傍ら、夜間学校で学び専門学校を卒業。
それでも心に生きづらさを抱え、長女への虐待、借金問題と言うアダルトチルドレン特有の後遺症を抱えるも心理療法を初めとする数々の療法を試みる。
それでも生きづらさは解消せず、その後3度の離婚結婚を繰り返す。
2度目の結婚で次女を妊娠、離婚後母子寮に入り生活保護を受けながら33歳で次女を出産する。
なかなか完全離脱には至らないが、自身の生まれ持つナチュラルサイキッカーとして、
15歳から始めた占い師としての仕事の傍ら、
同時に社会生活も送り、プログラマー、システムエンジニア、
銀行員、コンサルタントとして社会経験も積む。
シングルマザーとして借金返済の為、スナック、クラブシンガーとしての経験も持つ。


3度目の再婚した直後の37歳の時、
インナーチャイルド・セラピーの第一人者である淡路紀世子氏と出会い、
同氏のセッションを受け、急速に改善し、アダルトチルドレンを克服する。
同氏に師事し、インナーチャイルドのセラピストとして開花する。
また、その頃同時に当たる当たらないという
占い師として人生を相談を受けることに疑問を感じ、
サイ・サイコロジー・フォーチュン・ヒーリングを用いたホリスピⓇカウンセリングを考案し、
ホリスピⓇカウンセラーとして多くの人の心に光を届け、幸せへと導くことに生きがいを感じて活動する。
淡路紀世子氏主催のインナーチャイルド・セラピスト養成講座、光の言葉セラピスト養成講座を修了し、
セラピストとして活動する中、研究者としての活動も継続し、
ありすオリジナルのセラピーを開発する。
師である淡路紀世子氏からも『すでに用意されている素敵な道を歩かれて行ってください。』と、
温かいお言葉を戴く。
その後、シータヒーリングのスペシャリスト達と出逢い、
創始者であるヴァイアナ・スタイバル氏から直接インストラクターの資格を取る。


特にアダルトチルドレン撲滅をライフワークとして活動する中、
2017年に脳出血で倒れるが、最小限の後遺症で済み集中治療室を出てすぐに
仕事復帰できるという奇跡に恵まれ、さらにサイキッカーとしての能力を深め、
55歳になる2020年6月20日、当サロンをリニューアルし、
生きづらさを抱える人が安心して保険証を持って来ることができる環境づくりを更なる目標に掲げ、
信頼するパートナーを得て、新たなる挑戦を開始する。
現在は、沢山の出逢いから恩恵を受け、生きづらさから完全離脱して、
頂いた感謝を循環させていきたいと考えている、プライベートでも、
二人子育ても完了し、仕事を継続しながら、自己の人生も幸せに満ちて、
これからもっと楽しんでいきたいと希望に満ちた人生を歩んでいる。


ありすを訪ねてきてくださるお客様に対して、
一時凌ぎの幸せでなく未来永劫続く幸せをプロデュースする
幸せ定着プロデューサーとして活動中。